発売開始10数分でチケットが完売し、その注目度と期待度の高さに改めて驚かされた3月半ば。ライブ当日が待ち遠しく、ますます胸を膨らませた1ヶ月、そしてようやく"鬼束ちひろ初の四国公演"開催だ。ここに集まったほとんどのお客さんが初めての鬼束体験に違いなく、皆同じドキドキ感を味わっているんだろう、と、隣の人の顔を横目で覗いてみたり、開演までの数分を過ごした。
鬼束ちひろがライトに照らし出され会場から歓声があがる。想像どおり細く白くそして強かった。右手に持ったタンバリンを鳴らしながらテンポのいい春らしいM@でオープニングを飾る。「君の暴言が綺麗すぎて僕は凍りつく」印象的な歌い出しのMA。硬いのに優しい、力強いのに切ない、怖いのにはかない・・・。MB、彼女の吐く息、吸う息、ステージ上の空気の動きまでが会場の隅に立つ私のところにまで伝わってくる。凛と背筋を伸ばし、まっすぐな視線。
今日着ているTシャツは袖ぐりのかわいい淡いピンク色。よく見ると、小さいみかんの絵がたくさんついているではないか。「愛媛、やっぱりみかんでしょっ!だから。」とちょっとした遊び心、心遣いも忘れない。会場からの「ちーちゃん!」の声援に「はーい」と少し照れながら応える姿はまるで少女のよう、が、ひとたび歌い始めると、女というよりも大人というよりも"人間"になる。痛ましいほどの想いを赤裸々に歌い、聞く者の乾いた心を揺さぶりそしていつしか癒していく。
ME、小さく細い身体に力をみなぎらせ震わせながら熱唱。ツヤやかでまっすぐなその髪の毛先にまで、魂が宿っている。彼女から目を離すことが出来ない。それは自らそうしているのか、目線をそらす事がまるで罪にでもなるかのような、そんな感覚にさえ襲われる。目を背けたい現実がある、通り過ぎるのを顔を伏せてじっと待つような現実がある。鬼束ちひろの歌には、それらをじっと見据え、そして向かう、勇気と誠意と怒りがある。今日この場にいる私たちは、そんな彼女の姿を、両のまなこを開いて見届ける勇気をもたなければならない。臭いものには蓋をする癖がついてはいなかったか?ドキリとさせられる。彼女はそんな蓋さえ持っていない不器用、いやそんな行為すら知らない、素のままの生き物なのだ。MF、鬼束ちひろが、久保田早紀の『異邦人』に出てくる"こども"のように思えてきた。ミュージシャンは歌という媒体を使ってメッセージを届けるのだと思っていたが、彼女を見ていると、そうじゃない気がして来た。自己表現の手段でもない。自問自答を繰り返し答えを探っている。両手をいっぱいに広げ何かを掴もうとしている。自分が自分であるために。
バックメンバーのコーラスの効いた英詞のMIJ。これまで、手拍子をする事ももちろん拳を挙げる事も、身体を揺する事すらしてなかったのに、会場の温度も、私の体温も確実に上昇している。パーカーを1枚脱いだ。私たちの体の中の何かが目を覚まし、動き始めた証拠かもしれない。MM「今日はとても気持ちよく歌えました。最後の曲です。」うすい黄色のライトがピンクのTシャツをまとったちひろを優しく照らす。そこにブルーのライトが細く鋭く天井から6本の筋を作っている。それはまるで、やさしくしなやかな彼女の中にある、ピッと一筋通った芯の強さを象徴しているかのよう。
ENC@、会場の手拍子の上を裸足で跳ねながら歌っているようだ。頬が緩むむずがゆい暖かさ、遅寝をした休日の窓の外、陽だまりで山鳩が鳴いているのを夢うつつで聞いているような感覚に陥る。鬼束の楽曲アレンジを手がけているピアノの羽毛田氏以外のバンドメンバーは下がり、ENCA。この曲を生で聴くのは楽しみであり、実は怖かった。しかし、今日は正面からこの曲を受け止めなくてはいけない。曲が始まった。会場中の動きが止まった。メモをとる私のペンの動きさえ、今のこの張り詰めた空気の中では"余計なもの"となっている。魂を抜き取られて動けないのではなく、生まれて初めて魂を与えられた生き物が、戸惑いと喜びのために動けなくなっているようだ。やがてその生き物たちは、痛みを知り、そして越え、光と影の中を歩み始めるのだろう。
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