「松山在住ミュージシャン佐藤晃司、
長渕剛 に接見する」の巻 |
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佐藤晃司
1991年(当時17歳)〜地元松山で音楽活動を始め、
FM愛媛のパーソナリティを勤めるなど幅広く活躍しながら、
地元のライブハウスなどを中心に音楽活動をしている。
ギター1本で奏でる彼の楽曲は、魂にじんわりと沁みる。
現在はライブミュージックハウス児雷也で毎日ライブを行っている。
ライブミュージックハウス児雷也/松山市二番町2-4-6
TEL.089-931-6112
佐藤晃司オフィシャルHP http://homepage2.nifty.com/koji-sato/ |
DOMO読者の皆さん、そして長渕ファンの皆さん、初めまして、佐藤晃司です。暑い夏ももう少し!いかがお過ごしですか?さて、『サムライ』以来約3年ぶりの待望のアルバム『空』(6/27リリース)はもう聞きましたか?何か今までとは違った"剛の匂い"を感じませんか?そう、"新生、長渕剛"の歩みがまた始まったのです。そして去る6月下旬、私、佐藤晃司は、長渕剛大阪キャンペーンに、FM愛媛の特番収録の為大阪まで飛んで行ったのでありました。本当に"地に足が付かない"というのはこの事だなと思いながら入り待ちする事約2時間、この時の僕の緊張感といったらもう・・・ここに書き表す事なんて出来ないよ。何てったって、僕がギターを弾き始めたきっかけがこの人だったんだから。存在を知ったのが8歳か9歳の頃。姉が聴いてた『順子』『goodbye青春』等。17歳の時ギターを弾くならこの人からだ、とAL『昭和』の中の『トンボ』に始まり順にアルバムをさかのぼ遡り、作品、著書、TVにラジオ・・・朝から晩までギターを弾きながら追っかけた人だったのです。
その人が既に、スタジオの中に疲れ気味の体をほぐ解しながらで腰掛け俯いていました。「あっ動いてる・・・本物だ・・・」(意外にも自分でも驚くほど単純な感想だった。)大きなガラス張りのむこうの狭いブース、本番前のスタッフの慌しさ。重たいドアが閉められ、とうとう2人っきりに。あっそうそう思い出した。僕がロビーで煙草を吸っている時、若いスタッフがゼエゼエいいながらやって来て、いきなり開口一番「長渕さん午前中は調子も機嫌も良かったんですが、さっきからヤバイんですぅ〜!もう帰ろうかなんて言ってますんで、・・そこ・・んと・こヨロシクです!」とか言うんだよね、今から本番やろうとする僕に。火をつけたばかりの煙草、ポロッとか落としてね(笑)。控え室まで膝を"カックンカックン"させながら帰ったさ。本当参ったよ。でも頼もしく、ありがたかったのが、「いくら大スターでも、人間だよっ」とのスタッフの一言。そんな事考えてもみなかったけど、ごもっとも。安心したなあ、あの時は。思わすニヤけてた。
まずは、何がどうあれご挨拶。指先が伸びたねえ。「初めまして佐藤晃司です。掛けさせて頂いてよろしいでしょうか。」まるで入社試験か奥へ通された営業マンの様。その時、"レイバン"がテーブルの上に降り「ワ・タ・シが、長渕剛です。」「えー充々存じ上げております。」冗談めいた柔かい笑顔に、切れ長の優しい眼が僕を捕らえた。この時お互いの肌に感じ合うものがあったんだろうね、和やかに番組収録はスタート。でもそれからがスタッフ達も顔面蒼白、目は白黒、右往左往。「うっそ〜!」なんとセッションをやらせていだくことに!もうこうなると"あとは野となれ山となれ"だ。「弾いてみて!」そこまで言われてやらなきゃ男が廃る、「本当ですか?」とか言いながら、僕はあのGibson・J・45(完全なるold.G.名器である)を取り出し・・・さっきまでの僕はもうどっかへ行っちゃった。"水を得た魚"、両手のえらが、尾びれが、背びれが、パッタパッタ、ゲージの上を泳ぐ泳ぐ。今までも色んなステージでやって来たけど、今までで最高の瞬間だったね。
その後、僕の曲「一滴の泪」ってのをやったんだけど、なんとその曲には即興でハーモニカ吹いて下さってね。本当にビックリ!とにかく、素晴らしい番組を制作できた事だけはFM愛媛共々自負している。(8/11の放送を聞き逃した方は、秋口に完全ノーカット版でお届けする予定。乞うご期待!)
お会いして僕の一番の印象は、非常にShyで、目を見ているだけであの肌の温もりのようなものを覚えたという事。それは何とも言えない透明感すらあり、"長渕剛"としての「所以」がそこら中に漂ってた。留まらす、うごめ蠢き探し続け、辟易に屈する事なく、やはりポジティブで愛される"アーティスト"そして"人"に僕は触れる事が出来た。また、僕自身、「なぜこの仕事が出来たのだろう」と思うことがしばしばあるのですが、約十年前、僕に歌う術を教えてくれた岡村香氏(当時松山で活躍していた長渕フリークのミュージシャン。現在は東京でライブハウスやストリートで音楽活動を続けている)の存在にはじまり、今松山で大変お世話になっている方々、持ちつ持たれつの仲間達や、"夢"文化に無頓着なこの街も含めて、その"夢"の途中に立つ僕は、「有難う」と心から思っている訳であります。僕自身、この街に住みながら音楽活動をやっているのですが、同じくこの街をベースにやっている人達とも、もっともっと盛り上げていきたいと思っています。素晴らしい感性の持ち主や、少しす拗ねてるアーティスト、"隣の○○君、○○ちゃん"の中には、素敵な夢の持ち主が水面下にたくさんいるんですよね。自分の居場所を見失う人達も多い中で、自分自身で有るべき場所をkeepし続けようとする"長渕剛"、本当に逢えて良かったと心底想います。
皆さんも、どこで生きていてもいいんですが、それぞれの"夢"文化、産業に触れていて下さい。僕、佐藤晃司としても、ステージや作品から皆さんにお届けしたいと願いながら過ごしています。
最後になりましたが、"新生・長渕剛"が懐かしい方も、新しい方も、これからの秋の空に思いを馳せるように、あなたの中の「心の中の"空"」を少し見上げてみては如何でしょう。そして、12/19(水)「TSUYOSHI NAGABUCHI LIVE2001〜空/SORA〜」で長渕剛の"空"を観に行こう!
佐藤晃司 |